谷口吉郎の雪あかり日記

前回の記事で触れた谷口吉郎について、その初期から円熟期への変化のきっかけになった出来事が、在ベルリン日本大使館の監督のための1938-39年の間のベルリン滞在だ。それは1年程度のものであったが、個人的には日本の現代建築史を変える決定的な瞬間だったように思う。

この期間に谷口吉郎はベルリンのシンケルの建築に出会う。

「シンケルの建築は歴史主義の建築であり、当時興隆していたモダニズムの建築が否定していたものである。しかし、谷口は、過去の建築様式を、それもドイツから遠く離れたギリシャの古代の様式を、模倣したにすぎないはずのシンケルの建築が現代の人々を感動させる高い芸術性や記念性を備えているだけでなく、「ドイツ魂」すら表現し得ていると感じた。それは合目的性の追求だけでも事足れりとするモダニズムの建築に対する疑問を抱かせるきっかけにもなった。シンケルの建築に出会ったことによって、谷口はモダニズムの建築を相対化する視点を得たのである。」-合目的性を超えた意匠の世界 谷口吉郎自邸- 藤岡洋保

この時期に谷口吉郎が見て、感じたことが「雪あかり日記」には丁寧に綴られている。

この日記は建築界では知っている人の中では常識のような存在なのだが、そのうちのどれほどの人が原文まで読んでいるだろうか?

幸いなことに、ハーバード大学にはYenching Libraryという東洋書が専門の図書館がある。そのうちの日本書籍のコレクションは1914年に東京帝国大学の教授の服部宇之吉と姉崎正治から寄付されたものをスタートとして拡大したものだとのこと。

日本語のみで書かれた建築関係の書籍は、GSDの建築図書館ではなくこのYenching Libraryに所蔵されている。Yenchingが持っているのは一般的な日本の書物のはずなのに、日本の建築関係の書物が圧倒的に充実しているのだ。100年前を生きた建築家である谷口吉郎の日記までが所蔵されているのだから驚いた。

そんな幸運のおかげで、今回レポートを書く際には原文を読み込むことができた。レポートにはそのうちの少しのことしか引用できなかったのだが、実際の「雪あかり日記」はその文章全体がとても美しく、細やかで、とても一部だけ引用などできないほどに、谷口吉郎の心の移り変わりが克明に描かれている。

筆者自身はあとがきで「文章は苦手だが編集者に励まされながら頑張って書いた」的な謙遜の言葉を書いているのだが、そんなことはない。まるで小説家のような筆致の文章からは、その場面が映画のように目の前に見えてくるほどだ。

特に、谷口吉郎が神戸港から出発する時に両親が見送る場面、赴任の最後の日々の中で訪れたシンケルの無名戦士の廟の中で、トップライトから光が落ちてくる場面。。。文章からその情景の美しさ、筆者の心の動き、その瞬間に噛み締めていることがひしひしと伝わってくる。

やはり歴史に名を残すような人は大天才なのだということを再認識した瞬間であった。篠原一男から見て雲の上の人のような存在の建築家であったのに、小説家のように文章もうまい。自分は自分の記録のために、このブログを書いているが、遠く及ばないどころか蚊ほどの存在でもない。

そのような大天才の存在と自分の現状とを相対化することで、目指すものが見えてくる。自分の才能の足りなさに文句を言うのではなく、常に実践・努力をして、少しでも能力を改善することが肝要だ。

GSD World - ハーバード大学建築・都市デザイン留学記

建築と都市デザインをハーバード大学デザイン大学院(GSD)で勉強する川島宏起のブログです。

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