上っ面の美学

「上っ面の美学でものを作っちゃいけないよ」という言葉は、新建築の元編集部の橋本さんにアメリカに行く前の送別会で言われたことだ。この「上っ面の美学」というキーワードはアメリカに来てからひしひしと、とても興味深く感じる。

日本(東大)の建築教育と、アメリカ(GSD)の建築教育には共通点もあれば相違点もある。共通点はプロジェクトの社会性を大事にし、ロジカルなアプローチでデザインを行うことだ。相違点は、日本の講評会においては建築の空間的な面白さが重視され、アメリカにおいてはプロジェクトをどのように語ることができるがが重視されることだ。

そのため、日本ではプロジェクトについて語るのが上手くなくても、空間的に面白さ・可能性があれば議論が盛り上がるし、それが評価される。アメリカでは空間的に何も新しくないプロジェクトでも、プロジェクトについ面白いストーリーを語ることができれば十分に評価されるのだ。

日本の建築教育に問題がないというわけではないが、アメリカの建築教育のこのスタイルは、生徒の作品を上っ面の美学へとドライブさせてしまう傾向が否めない。

こちらの作品で何となく多いのが、空間的には何も新しくないのだが、何となく見た目は良い感じにまとまっていているものだ。そういうものを見ると、かっこいいなーとかセンスがあるなーとは感じるのだが、それと同時にどこか空虚で「上っ面の美学」という点においてのみ完成度が高いようにも感じる。

なぜかというと、その建築が持つ空間の力によって何か新しい体験が生まれるようなものには見えないからだ。アートのオブジェクトとして遠くから眺めるのが丁度良いような物体に見えてしまう。

これは建築教育がアメリカはアート側に属しているからそういう傾向が許されてしまうのかもしれない。日本の場合は工学部に属しているので、いくらアーティスティックでも、人の行動や建物の機能がその中に見えてこなければ話にならないと思う。

もちろん、プロジェクトをしっかり語れることがアメリカでは超重要だし、その点で失敗するといくら良いものを作っても価値を認めてもらうことはできない。上っ面の美学にはならないようにしながら、そこのスキルを徹底的に鍛えていこう。

GSD World - ハーバード大学建築・都市デザイン留学記

建築と都市デザインをハーバード大学デザイン大学院(GSD)で勉強する川島宏起のブログです。

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