共感の美学:ストーリーで価値が決まるアメリカ社会

以前に上っ面の美学という記事を書いた(https://hk-gsd.amebaownd.com/posts/3696504)が、最近アメリカにいて強く感じるのが国の中に浸透している「共感の美学」だ。

それはテレビを見ているうちに何となく気づいていったことでもある。普段はアメリカの日テレ的な放送局のNBCをよく見ているのだが、その人気ダンスコンペティション番組であるWorld of Danceを見ている時についに言語化ができた。

World of DanceはJennifer LopezとNe-YoとDerek Houghという美男美女かつ実績があって有名かつバラエティでもたくさん喋れるという人たちが審査員をやっている。世界中から応募してきたダンサー・ダンサーチームが1分ぐらいのパフォーマンスを披露し審査員が採点する形式だ。そしてAmerican IdolやAmerica’s Got Talentのように何週にもわたって本戦・準決勝・決勝などが行われ、そのシーズンの優勝者が決まる。

5月から始まったばかりのプログラムなのでまだ本戦ラウンドなのだが、その中に印象的な勝者と敗者がいた。前提として、どちらもダンスの技術はものすごいのだが、一方は本戦をほぼ満点で通過、一方は次ラウンドに進むことができず敗退した。

勝者の方は、黒人のティーネイジャーの男の子だ。白人の家庭に養子に入り、その家庭には愛されていたものの、コミュニティには馴染めない子供時代を送っていた(アメリカでは人種で住む地域が分かれることが多いので)。その中でダンスに打ち込むようになり、才能を開花させ、その生きる苦しみや喜びがわかるようなパフォーマンスを披露した。

敗者の方は、日本人二人のデュオでダンスの世界大会で何度も優勝経験のあるペアで、その技術は世界のトップと言っても良いものだった。パフォーマンスも素晴らしかったのだが、それ以上に書くことはない。審査員からも「座って見るパフォーマンスとしては素晴らしいが、こっちの心や体が動かされるようなものがない」と言われ、結局高い点もとることもできず敗退してしまった。

この差は何かと言うと、共感できるかどうかの違いだ。日本ではものが良ければ良い、ものを見てくれればわかる、ものの品質が全てだというところがあり、実際にそういう点で物事が評価されることがほとんどだ。

しかしアメリカでは、まずそのものを見てもらうため、感じてもらうためのストーリー、言わば舞台のようなものが重要なのだ。見る人の視点をこっちから十分に整えてあげた上で、見る人に体験してもらうのが大事だ。これは建築のプレゼンだろうと、どんな分野にも共通することだろう。

以前WEBで読んだ印象的なエピソードがある(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54451?page=3)。「和牛の値段は米国産高級ステーキ肉の3倍はします。そこで…洋服や宝飾の高級ブランドと同じように扱う必要があると考えました…タキシードを着たウェイターが和牛を桐の箱に入れて顧客に見せつつ、「この牛にはビールを飲ませ、モーツァルトを聴かせて育てたんです」といったエピソードを披露し、注文する時点からスペシャルな体験を演出しました。」

ストーリー作りの分かりやすい例だろう。日本にいる時は多分バカバカしいと思ったかもしれないが、アメリカで暮らしているとこれはマジで効果あるだろうなーと思ってしまう。今までも、自分の作品をGSDでプレゼンしてきて、刺さる時と刺さらない時の雰囲気の差のようなものは感じていた。これはやはり、ストーリーの作り込みの差、伝え方の差も一つあるのだと思う。

一方で「ストーリーだけなら嘘をつけちゃうじゃん、ものでは嘘はつけないでしょ」という意見も正しい。アメリカにはストーリーだけは立派で品質が最悪なサービスなどごまんとある。日本的にものの良さを追求しつつ、アメリカ的にストーリーの良さも追求していくことができるよう、2つの視点を持ちながら努力していきたい。

GSD World - ハーバード大学建築・都市デザイン留学記

建築と都市デザインをハーバード大学デザイン大学院(GSD)で勉強する川島宏起のブログです。

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