GSDな自分 1.0

寮であるPeabody Terraceの中で一番高い建物の最上階には自習室がある。ふとしたことでそこから見えた夕焼けが綺麗だった。広大な地平線の向こうに沈む太陽というのは、日本ではなかなかお目にかかれない光景だ。

ボストンに着いてから2ヶ月が経つ。一月目と二月目の速さの違いには驚くばかりだ。ボストンという都市に慣れてきて、身の回りも整い、生活がシンプルになってきたからだろう。これから授業がきつくなるにつれて、さらに生活がシンプルになって、時間が経つのが速くなるのだと思う。

7月から8月の頭にかけてはGSDから課せられた英語の授業だった。英語のスキルを鍛えるだけでなく、アメリカの建築・都市計画・ランドスケープについて深く学ぶことができたので、これから始まる新学期への導入としては、とても充実した素晴らしい授業だった。

つい数日前に、英語の授業の成績表が届いた。その他は"Excellent"だったのだが、クラスへのディスカッションの参加具合が"Satisfactory"という評価だった。アメリカの場合は問題がない限り"Excellent"の最高評価を受けとるので、その一つ下の"Satisfactory"というのは、もう少しやった方が良いという意味だ。個人的には、日本にいるより頑張って積極的に参加したつもりだったのだが、それでは足りない。

問題は2つあると思う。いくつかの議論に興味を持てていない点と、自分自身で守りに入ってしまっている点である。

前者については、廻りの人に言わせれば外から見ていてもすごく分かりやすいらしい。興味があれば前傾姿勢になり、興味がなければ背もたれに背中をつける。どうやら無意識にそうなってしまっているらしい。「興味を持っていない」状態というのは、自分自身の今までの価値観に照らし合わせた上で判断を行い、結果として否定的になっている状態だ。自分の未熟な価値観を信頼するというとても危険な行為なので、これはいただけない。どんな物事にでも自分の身になるポイントを見つけられるよう、頭を常に動かし続け、吸収する姿勢を保たなければならない。

後者も同じようなことが原因だ。今まで積み上げてきたものにプライドがあり(?)、それを崩すことに消極的になるあまり、議論への積極性を欠いてしまうのだろう。だが、そんな自分自身が既に時代遅れなのだ。まずやるべきなのは、現在の自分自身を構成する能力や価値観というものを解体し、バラバラにして整理整頓をすること。その一つ一つに足りないものを見つけ、新しい知識を吸収させることで、再構築するような作業が必要なのだと思う。クラシックカーのレストアのようなものだ。

成績表の総合評価の欄には「GSDで教育を受けるのに十分なスキルがあり、今のままでも全く問題ないが、彼が自分自身の"快適域"を抜け出せるような努力をすることを望む」とも書いてあった。まさに痛いところを付かれた心持ちである。

指摘の通り、確かに今の英語のスキルや能力でも課題を乗りこなすことはできる。ただし、そこには成長はない、自分の"快適域"にとどまっていては、GSDで2年間学ぶという意味が全くない。その"快適域"から踏み出す一歩は何かを常に考えながら、一日一日努力して自分に課題を課し、成長への道筋を自分自身で開拓するしかないだろう。

ただ、出国前に恩師の前先生からは「成長するなんて考えている時点で、利己的かつ未熟だ。公人になることを目指すのだ」とも言われている。そこに到達するにはまだまだ遠く、五里霧中状態としか言えない。

9月の頭からいよいよ本番の授業、設計スタジオが始まる。頑張ろう。

GSD World - ハーバード大学建築・都市デザイン留学記

建築と都市デザインをハーバード大学デザイン大学院(GSD)で勉強する川島宏起のブログです。

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