メタボリズムの願い

スタジオの敷地となっている鄭州(ZHENGZHOU)は日本発の建築思想であるメタボリズムによる都市計画が行われた都市のうちの1つだ。日本国内ではメタボリズムの思想に沿って建設された建物は数多くある一方で、都市規模のものは存在しない。

メタボリズム(新陳代謝という意味)は1950-60年代に構想された思想で、戦後復興の中で急速に姿を変える日本の社会に対応しながら、生き物が新陳代謝するように、時代を経て姿かたちを変えていく建築・都市のシステムを提案したものである。

典型的な例として銀座の中銀カプセルタワービルが挙げられる。構造と設備を担うシャフトにカプセル型の部屋がぐるりと接続されるという形式を持つ。1つ1つの部屋のニーズや老朽化に合わせてカプセルを更新していけば、建物の全体の更新が効率的に出来るという仕組みだ。

中銀カプセルタワーの場合は、カプセルを全部取り外さない限り、シャフトのが更新できないという致命的な欠点があり、結局カプセルも設備も殆ど更新されることなく今に至る。解体や保存の話が議論されているのはそれが理由だ。

なぜこのような思想が生まれたかについては、レム・コールハースが興味深い考察をしている。20世紀初頭に生まれたモダニズムを戦後復興の日本が取り入れる際、モダニズムの中心思想である機能性を軸にしつつも、木造循環型の建築文化の延長線上での咀嚼が行われ、「新陳代謝」という思想が出来上がったのではないかと言う説だ。

伊勢神宮というのは現代から見ても最高に洗練されたシステムを持っている。20年ごとの遷宮建立のための樹齢200年のヒノキを育てる森が継続的に整備され、遷宮が終わり解体された材料は全国の神社に散らばり再利用される。このような文化を持つ日本から見れば、論理的に線を引いてそれが永遠だと主張するモダニズムのあり方に対して、自分なりの咀嚼しようという気持ちになるのも頷ける。

ただ、鄭州で実現したメタボリズムの都市計画も、変えてはいけない永続性を持つものに見えるし、そういう形で解釈されながら開発が進んでいるように見える。メタボリズムの願いというものは、資本主義の開発原理の中では滑稽でしかなく、その衝突した状態が開発初期のゴーストタウン化などを引き起こしたのだろう。

今回のスタジオではそのメタボリズムの願いというものを、2020年の中国というコンテクストの中で、日本人の建築家として咀嚼し直すような案にできたらなと思う。

GSD World - ハーバード大学建築・都市デザイン留学記

建築と都市デザインをハーバード大学デザイン大学院(GSD)で勉強する川島宏起のブログです。

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